長男日記

長男の淋しさを埋めたい。これ以上どう愛すればいいの。

先日、長男がADHDと診断されました。

小さい頃から育てづらいなと思っていたのですが、初めての子育てだったこともあり、いつかは落ち着いてくるのかなと思っていました。

ひとことで言えば癇癪がすごい長男。

癇癪を起こすと大きい声で泣きわめき、床に転がり、ドアを蹴り、壁を蹴り、物を投げ、手がつけられない状態。

癇癪は1歳前から起こすことがありましたが、成長して身体が大きくなるにつれ、どんどんすさまじくなりました。

この癇癪については、ネットや本で調べた対処法を実践したりしましたが、長男に有効な方法は見つけられず。

ただ、パニックがおさまるのを待つだけ。

何で癇癪を起こすか予測がつかず、すべての予定が狂うこともよくありました。出かけ先で癇癪を起こされると、こちらももうお手上げです。

毎日それに付き合っていると本当に疲れます。

癇癪を起こすたびに、はぁー。またか。と、冷静ではいられなくなりました。

癇癪を起こす長男に向かって、どうしたらいいのかわからないまま、わたしも癇癪を起こす日々。

去年、離婚したのをきっかけに長男の癇癪はどんどんエスカレートしました。

今まで夫に家事や育児を手伝ってもらえない、家にいてもらえないいら立ちを何回も、何十回も、何百回も長男にぶつけて来ました。

大声で怒鳴り、長男が叩いてくれば叩き返し、蹴ってくれば蹴り返しました。

このままではいけないとわかりながらも、長男に怒りをぶつけることを止められませんでした。

離婚した後も、自分だけでは到底終わらない育児、家事、仕事、子どものわがまま、そのいら立ちを長男が癇癪を起こすたびにぶつけて来ました。

どんどん荒れていく長男。

わたしは長男の心を壊してしまいました。

離婚しなければこうはならなかったのか。なぜ離婚したんだろう。わたしは何がしたかったんだろう。離婚後の生活の荒れぶりは、想像をはるかに超えるものでした。

私は離婚をなめていました。

離婚して2ヶ月ほど経った頃、長男の荒れ方はさらにエスカレートし、文字通り手がつけられない状態になりました。

保育園に迎えに行けば、遅いと癇癪を起こし、殴られ、蹴られ、引きずるようにして長男と次男を抱え車に放り込み、運転している後ろから何度も髪を引っ張られ、首を絞められ、怒鳴りあいながら帰る日々。それを見て恐怖に泣きわめく2歳の次男。

疲れた。

どこに向かっているのかわからない。

たぶん私は今、人生の底辺にいる。

そう思っていました。

家に帰れば、この家には住みたくないと暴れ、靴を投げ、ドアを蹴り、外に飛び出す。

少し落ち着いたと思えば、次は違う理由で暴れだす。

生活が成り立たない。

このままでは長男を殺してしまうかもしれない恐怖。

母のすすめもあって、しばらく実家に子ども2人と避難しました。仕事も数日休みました。

実家には、子どももいて、長男も気晴らしになったようでした。

私も自分以外に大人がいることがどんなに素晴らしいことか、改めて実感しました。

それでもやはり、些細なことで長男の癇癪は始まります。

ここまでの癇癪は誰も見たことがなかったため、みんな凍りついていました。

兄嫁も泣きながら長男を必死で抑えてくれました。

いつまでこの生活が続くのかわからず、暴れる長男に、泣きながら「お前なんか死ねよ!」と言ったこともありました。

そう言った後の味わったことのない罪悪感。父親に「落ち着け!」と言われ、泣きながら長男を抱きしめている母親を見て、涙が止まりませんでした。

そんな長男に下された診断がADHD.ODDでした。

医師には、もともとADHDタイプの気質を持っていて、それを自分でコントロールできていない状態。

だけど根底にあるのは、淋しさ。

そのように話してもらいました。

長男は生まれてからずっと、わたしに怒声を浴びせられ、夫への怒りをぶつけられて、

次男が生まれてからはすべて後回しにされ、自分という存在をいつも否定されてきた。

さらには、大好きな父親ともわけもわからず引き離されて。

長男はきっと、心がえぐられるような淋しさの中で、自分という人間の存在意義を見失っている状態なのだと思います。

そして、声にならない声で、ママに愛してほしいと叫んでいるのだと思います。

ABOUT ME
アラフォー主婦
二人の男の子を育児中のアラフォー主婦です。