こんにちはアラフォー主婦です。
実は今年の8月、まる1か月間、夫と別居していました。
もちろん単身赴任でも長期出張でもなく、
純粋に、夫婦不仲による別居です。
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長男出産後からの夫との溝が埋まらない
離婚しようと思った原因は、他人から観れば些細な事だったかもしれません。
私たち夫婦は日頃から、お互いに思っていることを胸に秘めておくタイプです。
小さい喧嘩はしません。
いつも喧嘩するときは離婚話に発展するほど大事になります。
長男出産を機に、夫との溝ができ始めました。
何度も同じような喧嘩になり、お互いに譲らず、平行線でした。
初めての子育ては、私にとってはとてもつらいものでした。
一番助けてほしい時に、夫に助けてもらえなかったというわだかまりが、ずっと消えませんでした。
私は長男出産後から離婚を意識し始めました。
育休中は夫婦のバランスが崩れる
離婚したいと思いながらも、何とか踏みとどまり、次男を出産しました。
そこからまた私たち夫婦の試練が始まりました。
私と夫は同じ職種で、同じ職場です。
もちろん給料もほとんど変わりません。
お互いに働いている時は、私の方が家事と育児の負担はかかりながらも、それなりに分担してやっていました。
ですが、育休に入り、私が毎日家にいるとなると話は変わってきます。
夫は一切家事をやらなくなります。
なんなら、子育てすらノータッチです。
その背中には、「お前毎日休みだろう?俺は毎日働いてるんだよ。」
と書いてあります。
夫が休みで家にいても、お風呂も手伝ってくれませんでした。
手伝ってと言うと、おもむろに嫌な顔をして、嫌々ながら手伝ってくれました。
そうするうちに、手伝ってもらいたいという気持ちが失せてきました。
次第に、夫に家に帰ってきてほしくないという気持ちになっていきました。
実際、週の半分も家にいなかったと思います。
次男のことも、1年の中で数える程しか抱いたことがなかったと思います。
秘かに離婚の準備を始めた
そんな日々を送っているうちに、私は夫と過ごす意味が分からなくなっていました。
お金の面ではきちんとした夫なので、金銭トラブルはありませんでした。
それだけでも十分と言い聞かせて、数年やり過ごしてきました。
しかし、それだけではやりきれなくなってきました。
夫婦が不仲な家庭で育った子どもはどうなっていくのか。
シングルマザーの家庭で育った子どもはどうなっていくのか。
毎日そんなことを考えながら、あっちに傾き、こっちに傾き。。。
だけど、いつ離婚してもいいように、少しづつ保険の引き落としなどを自分の口座に移していきました。
私の育った環境
私の父親は、子育てに無関心な人でした。
厳密には、私には無関心な父親でした。
兄のことは、自分の趣味でもある釣りに毎週のように連れて行っていました。
私はというと、休日は常に母親と二人きりでした。
当時、車の免許のなかった母。
こんな田舎町で、母親と出かけられる場所は限られていました。
小学生の頃は、何度も父に家にいてほしいと言いましたが、そのたびに父には、休みの日くらい俺も好きなことがしたいと言われました。
子どもながらに、「私の父親は他の父親とは違う」と思いながら育ちました。
母にもなぜ離婚しないのか尋ねたことがあります。
母が「離婚しても行く場所がない」と答えたのを覚えています。
両親は共働きで、父は亭主関白でした。
父は家に帰ってくると、椅子に座ってビールを飲み、家のことは全く何もしませんでした。
自分の箸を持ってくることさえもしない人でした。
母はなぜ文句も言わずにこの人と一緒にいるのか。
両親が子どもの前で喧嘩したことは一度もありませんでした。
母は家の中で奴隷のように扱われている。そう思っていました。
私は父親が大嫌いでしたし、今も大嫌いです。
私が看護師という職業を選んだのは、父と母を見て育ったからです。
同じ人間でありながらこんな扱いを受けて、男に文句も言えないのが女という性なら、一生一人で生きたい。
それが幼少期の私の考えでした。
きっかけは夫が長男に当たったこと
その日私たちは些細なことで険悪なムードになっていました。
そして、長男が少し夫にわがままを言ったのをきっかけに、夫が長男に怒りを爆発させ、長男をクッションの上に投げつけました。
完全な八つ当たりです。
ここで私の怒りは一気に頂点に達しました。
私がまだ夫と生活している理由は
「子どものため」
ただそれだけでした。
その唯一の理由の子どもにまで、そんな態度をとるなら、
もう迷う理由はない。
私は即座に狂い泣きしている長男をおんぶして、夫が抱いていた次男を取り上げ、全身を震わせながら、夫に「私はこれから実家に行く。私が帰ってくるまでに出ていけ。もう二度とこの家に帰ってくるな。」と伝え、歯がガタガタするほど泣きながら実家に歩いて向かいました。
実家についたところで、「もうあんな男とは暮らせない」と言葉にならない言葉で伝えました。
なぜだかまだ家にいた夫
しばらくして、もう夫がいないはずの家に帰ると、まだ夫がいました。
ですが、自室にこもり、出て来ませんでした。
そしてこの後もずっと出ていく気配のなかった夫。
この男は何を考えてるんだろうと思いながらも、私ももう一度出ていくように伝える体力も気力もなく、ただ日々だけが過ぎていきました。
そして、私も職場復帰を迎えあわただしい日々を送る中で、あの事件がうやむやになっていきました。
ついに出て行った夫
ですが、そんな夫もついに出ていく日が来ました。
きっかけは、私が職場復帰してからも、相変わらずほとんど何もしない夫に私が静かにキレたこと。
「あなたは出て行かないんですか?」
と聞いたところ、
「出ていく」
と言い、次の日に出ていきました。
夫のいない日々
夫のいない日々が始まりました。
初めの1週間くらいは、時々長男がパパは?と言ってきました。
チクリと胸に刺さるものを感じながら、
「パパ遅いね。早くパパと遊びたいもんね」
と返答し、やり過ごしました。
そのあと、長男からパパという言葉が出なくなりました。
もともと週の半分以上は子どもにあっていなかった夫。
子どももすぐ忘れるだろうと思っていました。
私は、夫が出て行った日から、離婚する意志を固めていました。
手始めに、夫の口座から引き落とされている公共料金や、携帯電話の料金などすべて私の名義に切り替えました。ついでに電力会社も乗り換えました。
これから自分一人で子どもを育てていく。
何度も想像したことだけど、いざ現実となると相当なプレッシャーを感じました。
しかしそれとは裏腹に、夫のいない自由な気持ちも味わいました。
この家に誰にも気兼ねすることなく、誰を呼んでもいい。
これからどんな風に第二の人生を楽しんでいこう。
そんなことを考えるとワクワクが止まりませんでした。
どんどん現実味を帯びてくる
夫が出て行ったあとで、職場の勤務体系が変わりました。
ロング日勤というものを、月3回しなくてはならないことになりました。
このロング日勤、勤務終了時間が18:30なので保育園の迎えに間に合いません。
そうなると、職場の託児所に預けなくてはなりません。
子ども二人を一日預けると、3000円かかります。月3回あるので、9000円はかかります。
さらに日曜、祝日も預けなくてはならないので毎月2万円近い出費になってしまいます。
どんなに計算しても今のままの生活では、私の給料ではやっていけないことがわかります。
今まで夫の支えがあって、私は何の心配もなく生活してこれたんだなあと、しみじみ感じました。
やはり経済的に安定していることは、何にも代えがたいことです。
ですが、そんなことで、やっぱりよりを戻そうなんて気分にもなれませんでした。
それと同時に、もしこの先私に縁があって再婚することになったら。という妄想もしました。
最初は忘れていた胸のときめきにワクワクするかも、なんて考えていました。
ですが、考えて行くうちに、
もし、再婚相手がバツイチ・子ありだった場合、その人はどんな気持ちで私の子どもに接するんだろう。きっと私の子どもを自分の子どもと重ねて見てしまうんだろうな。。。
きっと私はそれに耐えられなくなるんだろうな。。。
そんな風に考えてしまいました。
それじゃあ逆に、相手が初婚だった場合。。。
これは論外。きっと私の子どもを心から可愛がってくれる人なんていないんだろうな。
そんな風に考えてしまいました。
自分の子どもを自分と同じように、同じテンションでかわいいと思える人は、この世に夫しかいない。
やっぱりそうなのです。
別居して1か月が経って
なんだかんだで1か月はあっという間に過ぎました。
その間、夫とは一切連絡は取りませんでした。
夫がどこに住んでいるのかも知りませんでしたし、知りたいとも思いませんでした。
ただ、そろそろ今後どうしていくのか、話し合わなくてはいけないなと感じていました。
離婚マニュアルのような本を夜読みながら、今夫に連絡しよう。そう思いました。
夫にラインで
離婚について話し合いたいんですが、いつがいいですか。
と送りました。
3分後、夫から返信がありました。
いまさらかもしれないけど、元通りにはなれないかな?
という内容でした。
私は本当に今さらと思いました。
自分から連絡することもしなかったくせに。
夫は子どものためにもう一度やり直したいと言ってきました。
今まで何度もあった、別れる別れない騒動。
今まで何度もあった、俺変わる宣言。
もうあなたの変わるは信用できません。
そう返信すると、夫から、
わかりました。話し合いの日にちは任せます。と返信がありました。
この男に振り回される日々が終わる。
そう思いました。
長男からの目の覚めるひとこと
次の日、長男が朝起きて来て、開口一番に言いました。
「ねぇ、パパ迎えにいこうよ」
長男はとても敏感な子です。
今までずっとパパのことなんて言わなかったのに。
すべて見透かされていたと感じました。
長男なりに何かを感じて、パパのことは口に出さないようにしていたのだと、ハッとしました。
あのとぼけた顔に、どんな複雑な思いが溢れていたのかと考えると、喉の奥が熱くなりました。
きっと何度も何度もパパのことを思い出したのでしょう。
私の気づかない場所でひとりで泣いたこともあったかも知れません。
だけど私には言えなかったのでしょう。
言いたくても言えない状況を、私が作っていたのでしょう。
ひとりでも育てていけるなんて、ただ驕っていただけだった。
毎日一緒にいた、この子の気持ちに何も寄り添えていなかった。
私よりこの子の方が、私を見ていた。
この子は今パパに会いたいと言わないと、もう二度と会えないかもしれないことを感じていた。
そのあと長男は、ダムが決壊したようにずっとパパに会いたいと言い続けました。
長男の様子を見て、私の気持ちは決まりました。
夫ともう一度やり直すと。
最後に
夫が帰って来た日、子どもはこれ以上ないくらい、はしゃぎました。次男はもうパパのことは忘れていると思っていましたが、しっかり覚えてしました。パパに向かってニコニコしながらハイハイで駆け寄っていきました。
それを見た夫もとても喜んでいましたし、私もこれで良かったのだと納得しました。
あの朝、長男があのひとことを言わなければ、こんなに嬉しそうな2人のこどもの姿はきっと見ることができませんでした。
私たち夫婦の、一家の、ピンチを救ったのは、紛れもなく長男でした。
あの日から夫は少しづつ変わりました。
これからも色々なことがあるだろうけど、あの日の光景を胸に焼き付けて、もう二度と子どもを傷つけないように、私も変わっていかなければならないと感じた、暑い夏の出来事でした。